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#7 催眠・黄昏・三姉妹

なんか色々やってたらこんな時間になってしまった。まだ一冊も読んでないのに...。まあアプリの方はちゃんと読んでるんだが。

 

さて思ったより長く続いてしまったこのシリーズをさっさと終わらせてしまおう。

『帝乃三姉妹は案外、チョロい』(以下『三姉妹』)について触れていくわけだが、元々、『三姉妹』をとっかかりに最近のラブコメの傾向に対して思うことをつらつら書こうと思っていた。しかし、長くなりそうだし若干本筋からずれそうなのでまたの機会にして今日は短めにサクッと終わらせよう。

 

以下ネタバレ含む?↓

 

 

 

『三姉妹』は、それぞれの分野で天才と呼ばれる帝乃家の三姉妹の元に、親を亡くし家族に憧れる主人公がひょんなことから居候することになり、家族としての姉妹間の仲を取り持とうとする中でわちゃわちゃするラブコメである。基本的にはタイトルの通り、普段クールな三姉妹のギャップを楽しむような話の作りになっている。

この作品のポイントは、ラブコメ主人公としてのキャラクター設定である。三姉妹は子供たちだけで暮らしており(父親は親の役割を放棄しており、母の消息は不明)、主人公は家事全般をしながら、三姉妹の献身的なサポートを行っている。その行為に下心はなく、姉妹たちから遠回しに行為を寄せられても鈍感である。

つまり、多くの設定が主人公を母として振る舞わせようとしており、主人公の視点からはヒロインとの関係性は親子のそれであるにも関わらず、ヒロインは完全に異性として主人公を意識しているという、誰のどのような欲求を刺激する目的なのかが不明瞭なのである。また本作の絵柄が少女漫画と少年漫画の中間にあるようであることがさらに対象をうやむやにしているように思われるのだ。

 

 

なんだか色々考えていたらよくわからなくなってしまった。元々は、基本的に母のように振る舞いながらも同年代の男らしさを時折見せるやり方がずるくないかと思っていたのだが、俯瞰で見たときにそもそもの構図が変だなということに気付いてしまった。まだ説明がついていない。

 

少し考えたが、これはいわゆる「鈍感系主人公」ラブコメなのではないか。そうだとするとまあお決まりといえばお決まりの流れなのか?

そうするとただ設定周りの奇妙さだけの問題になるのか。ラブコメ的にここから主人公が異性としてヒロインを認識し始めるのだとしたら、相当周到にやらないと近親相姦的な気持ち悪さが生まれてしまうのではないか。

当分はヒロインのデレを見続けるような気がするが、いつか彼らの関係性に変化が訪れる日を楽しみに待っておこう。それがラブコメのトロだからね。

 

積んでたやつじゃないけど最近読み始めて面白かった漫画

今日は読む余裕がなかったので最近読み始めて面白かった漫画を発表

 

いちげき

絵も話もいい

 

 

夏目アラタの結婚

単純なサスペンスととしても良質なのだが、やはりこの顔芸は漫画でしか真面目に表現することができないだろうし、このやり方でしか描けないコミュニケーションのリアリティというものがあるだろう。

 

瓜を破る

絵柄で舐めてたけど話の作り方が上手いのでぐいぐい読めた。人を舐めてはいけないんだよなという気持ちにさせてくれる。「社会人・性・仕事」みたいなキーワードで連想する漫画は『来世ではちゃんとします』なのだが、貧困だからドラマが生まれるわけではないんだなと本作を読んで思った。

 

ヴィンランド・サガ

おもろい!!!

#6 催眠・黄昏・三姉妹③

今日は短めにしたいかも。

昨日『黄昏流星群』について話すぞ!と言ってしまったので仕方なく触れることにするが、とりあえずこの仕方なさの説明からすることにしよう。

まず前提として、私は最近アプリで『黄昏流星群』(以下黄昏)を読み始めたばかりである。『黄昏』はオムニバス形式の中年の最後の青春物語である。そして、私はまだ3話分しか読めていない。しかし2話の時点で、これは凄すぎると思ったので記事にしようと思ったのだ。ところが、一昨日昨日と読んだ3話目が更にとんでもなかったので、これは全部を読んでから何かを述べた方がいいのではないだろうかと考え直した訳である。だが、現時点でも昨日までの話とつながるような話をできるなとひらめいたので軽く触れてみよう。

 

以下ネタバレ含む

 

 

 

どういった点で共通しているのかは、かなり大きな話になってしまう。それは、どのような条件で人は物語に没入するのかという話で、一言で言えばリアリティラインの問題であるということができる。昨日触れたエロ同人の読者層にとっては、自分の人柄そのものに異性が恋愛感情を抱くということにリアリティが感じられないために、種種の非現実的な設定によってリアリティを担保しているということを主張した。しかし、『黄昏』のターゲット層である中年男性にとってはその種の迂回は必要なく、若い娘が自分に惚れるという事実をすんなりと受け入れることができるので、それを前提に物語は作られる。

補足するならば、実際にそのような出会いが一般化しているわけではないということは、オジサンたちも作者である弘兼憲史も理解しているだろう。『黄昏』が巧妙なのは、素直に中年の欲望を爆発させるだけでなく、それが簡単には起こりえないということに対して冷静に気を配りながら、種種の仕掛け(語り方、視点人物の配置、絵柄など)によってリアリティを演出していることにある。現代のオタクたちと異なるのは、現実に対して真に絶望しているか否かなのである。(より補足すればオタクはただ絶望しているというよりは、現実の複雑さを単純化した、「肉棒一元主義」とでも呼べるマッチョイズムを信じるに至っているように思う。(それすらもメタ的に見ることはできるし、実際大多数はそうだろう))

あらかた話せた気がする。

では次に催眠モノでしそびれた話を『黄昏』を具体例として見ていこう。私は普段から、「精力」と「性欲」を分離して考えるべきなのではないかと考えている(広義の性欲を狭義のそれと精力にということ)。本能的な肉欲と異性に対しての承認欲求・支配欲などの社会的な欲求を分けるということだ。(特に最近の)エロ漫画(に限らない話だが)は一見前者の欲求を満たすことを目指すように見えるが、その過激な表現に隠れて、後者の欲求を刺激しているのである。そして、『黄昏』は前者の欲求をなるべく排除することによって、一見(主人公男性の)清純さを演出しているが(主人公たちが流れ星に例えられることからも明らかだろう)実のところ、あらゆる手段で後者の欲望を満たそうとしているのである。

一話はどちらかといえば、不倫関係ををいかに純愛として演出できるかの方に力点が置かれている。それは、出会いの運命性や、妻との関係性、娘の結婚にまつわる諸々の関係性(婚約者との間に愛はなく、大学教授と愛を育んでいる)。不倫相手とともに暮らすことを選ぶラスト。などによってなされる。しかし、ラストについてだけでも、主人公は当初自身の出世のために不倫関係を一方的に打ち切るのだ。しかし、妻から切り出された離婚によって出世が不可能になるやいなや、いかにも自分で決断したかの如く不倫相手のもとへ行く。あらすじだけを書くと本当にただ醜悪なのだが、構成や演出によって一見素晴らしい純愛物語に見えるのだからすごい。

※一話目は最後不倫がバレ、妻から離婚を求められた際の心底きょとんとした主人公の顔(ここだけタッチが変わる)がよい。

意外と長くなったので二話目には軽く触れるだけにする。二話目のすごいところは多いのだが(女性視点で進行する、数あるボーイフレンドの中から選ばれるという男としての承認など)やはりラストがすごい。いわば精神的な寝取りの極みとでもいうべきもので、主人公の女性は、中年男性に惚れつつも二人の関係は実らないまま男性は病死する。女性は結局別の同年代の男と結婚するのだが、中年男性は女性のなかで「最初で最後の恋した相手」として永遠化されるのだ!!!これがまあ手紙などのギミックを使って感動的に演出されるのだ。すごすぎる!!!こんな所有の仕方があるなんてぶったまげてしまった。

 

今日は以上!

 

今日の二冊

ワタシってサバサバしてるから1.2.3

なんか連載を経ていくうちに面白くなってくるって情報をTwitterで見かけたので読んでみた。無料で読める範囲が意外と少なかったので(金出しても早く続きが読みたい!!ってなるマンガじゃないだろ)まだ面白くはなっていない。しかし、思ってたよりしっかり漫画らしくてというか、スカッとジャパン度が低くて驚いた。スカッとぽい展開もあるのだが、それで反省してしまうと話が終わってしまうので主人公が全く反省せずにどんどん次に行く感じがギャグマンガっぽくもありながら、変なリアリティもあって読み味は悪くなかった。なんとかして金をかけずに全部読みたい。

 

 

ヴィンランド・サガ』が面白い!

#5 催眠・黄昏・三姉妹②

今日は特に前置きはない。さっさと書いて23時には寝たいので早速本題に入ろう。

 

昨日のまとめを簡単にすると、成人向け漫画における「催眠モノ」というジャンルについて考えて見たわけだが、ジャンルの成長過程で、ニッチなジャンルとしての催眠モノとメジャーなジャンルとなったそれでは「催眠」という設定に対する異なる欲求があるのではないか、という主張に至った。

そのような変化がどのように起こったかは想像することしかできないが(知識量の問題で…)前回述べたようにそもそもは、ニッチな趣味の作品内におけるリアリティ確保の為の設定として、つまり手段として利用されていたのだ。しかし人気の高い作品と結びつくことで、そのような趣味を持たない層の目に多く触れることになった結果催眠という設定が喚起する特有の欲求が発見されるようになったのではないか。(完全妄想)

繰り返すが、催眠によって可能になるその後のプレイをこそ重視していたものが、催眠によってプレイが可能になるような状況自体を欲望しだしたのだ。なぜそのような事態に至ったのか。それは一つにオタクの、現実での人間関係への本格的な諦念があるように思われる。「本格的な」としたのは、実際にオタクの定義を「現実での人間関係の構築に失敗している者」として良いほど、オタクは時代を超えて現実に対して怯え続けながら憧れ、コンプレックスを抱いていたのである。そんな中で、例えばゼロ年代のエロゲブームを振り返ってみれば、素朴にそのような現実への欲求を作品内の擬似的な関係によって解消できているという信頼・プライドがあったように思う。付け加えるならば、その際に再現される関係性がいかに歪であるかについても数多の指摘がなされているだろう。そのような物語を現実と遜色ないと思える(リアリティを感じられる)ところに純粋さがあったのだ。

では、エロゲには端的に言ってリアリティが感じられない。かといって現実で周りの人間たちが行なっているような関わり(圧倒的リアリティ)が自分にはできそうにない。世代の更新に伴ってこう考えるオタクが増えたのではないか。ならばどうすれば良いのか。そう、催眠である。つまり、ニッチな趣味を望まなくとも、「普通」の関係ですらも自然に結べないという現実認識に至ったオタクに取って、リアリティを担保する手段として催眠が新たに発見されたのである。

この「現代のオタクにとってのリアリティ」という観点を採用すると「NTRモノ」の流行についても説明ができる。どういうことかというと、催眠モノとNTRモノは「リアリティの担保」という目的を同じにしながら異なったアプローチをしているだけだからである。そしてNTRモノの方がより次元の違う徹底をしているのだ。説明しよう。

まず、催眠モノにおいて残っている問題点について検討してみよう。それは催眠によって達成される関係が実のところ(エロゲにおけるそれと同じく)自然なモノではないという当然の事実にある。これは単純な性欲と「普通」への憧憬、あるいはそこから生まれる逆説的な支配欲求(←このような欲求がオタク固有の物とは言わないが、エロ漫画でこのような問題に真摯に向き合う作品はわずかだろう)を混ぜこぜにしたまま濾過せずに素直に出力した結果の歪さであるといえるだろう。むしろここで、この歪さがゼロ年代の時のようなリアリティへの違和感を生んでいないのは、最早創作が現実の代替とはならないということを認識したからだろう。「普通」であれば催眠なしで至れる状況に催眠を経由してでしかアクセスできないのだという諦念の充満が、このジャンルの隆盛をもたらしたのではないか。催眠モノからは、自分達はもう現実とかは無理だしどうでもいいので、せいぜい楽しくやってますよ…という意志を感じるのだ。

それではNTRモノはどうだろうか。もうめんどくさいのでNTRの説明はしない。長くなりそうなので結論だけ書くと、NTRモノはメタ的に、オタクが作品を消費している構図をそのまま写し取ることで圧倒的なリアリティを確保しているのである。今考えている問題は、ではそれを読むオタクは何に興奮しているのか、「鬱勃起」とはどういう現象であるのかということである。徹底的な弱者としての自分に感情移入して読むことの意味。そして問題なのはここでも対象を所有するというあり方でしか人間関係を捉えられていないことにある。これでは結局ルサンチマンの問題でしか無くなってしまう。多くの作品はこの問題を無視し続けている。

自分がNTRが嫌いだからわからないんだよな。俺はまだ諦めきれていないということだ。

 

本当は最近の催眠モノの傾向として、「実は催眠かかってませんでした」的なストーリーが多く出始め、心まで支配しようなんて傲慢すぎる…と思ったことを次の話に繋げようと考えていた。三日もエロ漫画の話はしてられないので、明日は『黄昏流星群』の話をします。多分。

 

 

今日の2冊

ボールパークでつかまえて!

ヒロインと主人公の関係性を軸に話を進めていくというよりは、そういった多様な物語を生む可能性を持った場としての野球場を愛そう、みたいな雰囲気を感じる。長期連載向きだな。いかんせんキャラ造形が平板なので可能かはわからないが。野球が好きなんだろうな。

 

ヨルとネル

施川ユウキ、好きだ…。Twitterのユーモアが全部こうだったらいいのに…みたいな質感をしてるんだよ。こういう話は無条件でくるようになったな。当然と言えば当然だが。

#4 催眠・黄昏・三姉妹①

昨日の記事は言葉たらずではあるが割合面白いことが言えたのではないか。

冬休みは昨日までなので今日から本格的に日々が始まるのだなという感じがしている。始めてからというもの基本的にブログのネタについてずっと考えている。生活に良い緊張感が生まれたのはいいが、肝心のES執筆に手が回らなくなってしまっているという「本末転倒」のお手本のような事態になっている。ので、できる限り誠実に続けるつもりではいるが、本の紹介くらいで済ませてしまう日があるかもしれない。許してチョンマゲドン。許してちょんまげってすごいギャグだよな。脈絡がなさすぎて。誠意のこもった謝罪として断髪したってこと?

もうすでにネタ切れ気味なので、回を分割して延命を図りたいと思う。

 

ということで今日の話題は最近見た作品で同じような観点から「これはずるいな」と思ったものを挙げて説明していき、これらの作品に何があり、何が欠如しているのかを見ていきたい。(大上段に構えすぎている気がする、後悔するぞ)

という訳で初めは(いきなり作品ではないのだが)成人向け作品における「催眠モノ」というジャンルについて考えてみたい。あまりトレンドを追っているわけではないし、読んでいる作品数も圧倒的に不足しているので話半分で読んでほしい。趣味がバレるのも嫌なので具体的な作品名も挙げません!!これは俺のブログなので俺が王なのです。

そもそも催眠モノとは何なのかの説明はいるのだろうか。ジャンルを定義するのは難しいが(その定義に対するメタ的な作品とのいたちごっこになるので)取り敢えず「何らかの手段で相手の自由意志を奪い自分の意のままに操れる状態にした上で、エロい事をする作品」としておこう。

催眠がエロ同人の文脈に持ち込まれたのはいつからなのだろうか。Pixivにて「催眠」のタグが使用された最古のイラストは2007年の12月に投稿されている。ちなみに、題材は『BLEACH』だった。なるほど「鏡花水月」か。連載時期的にもちょうどだろうな。そして年月を経るにつれどんどんと作品数も増えていく。私の肌感覚としては『東方Project』の同人誌からジャンル自体のブームがはじまったように感じていたが、時系列に沿って見てみると、東方催眠のブームが来る以前から、それなりに有名な作品や作家がいたことが分かった。つまり、催眠モノはニッチなシチュエーションとして一定数のファンがいたことが伺える。そして東方催眠をきっかけに催眠モノは巨大なジャンルへと成長していくのだ。

しかし、催眠が永遠にエロ同人界隈のトップジャンルかと言われれば、そうではないだろう。これにも触れると長くなりそうだが、「催眠モノ」の次に「寝取られモノ」が台頭してきたことは議論を俟たないだろう。

※現在のトレンドを追っていないのでわからないが、感覚としては現在のトレンドは、NTRモノの人気も落ち着いた上で、新たなジャンルの勃興を待っているように思われるのだが、どうだろうか、有識者の意見を求む。

このジャンル移行についても話したいことはあるのだが、その前に催眠モノがオタクのどのような欲望を刺激したことで人気になったのかという事を考えてみたい。それは、オタクのある種の諦念から生まれたものではないのだろうか。東方催眠以前のニッチなジャンルだった頃の作品を眺めていると、催眠によって、普段ならできないようなプレイ(SMやスカトロ、露出など)を行っているケースが多い。(以後にする話と完全に分けることはできない話だが)基本的にどのようなプレイであってもそれを行うには両者の合意が前提となるわけだが、現実的にこのようなニッチな趣味はかなり人を選ぶだろう。それを作品で発散させることも可能だが、そんなちょうど良い相手の存在はご都合主義に映るかもしれない。結論を言えば、催眠という非現実的な設定は、それによって逆に作品としてのリアリティを確保しているのだ。つまり初期の催眠モノのジャンルの愛好者にとっては、催眠という設定はあくまで手段であり、その後に行なわれるプレイこそを真に愛好していたのではないか。古くから催眠モノを執筆している作家の作品が基本的に他と比べてハードなのはそのような理由があるのではないか。

さて、このような構成にしたということはオチはもう見えているだろう。そう、ジャンルが盛り上がっていくにつれて、手段であったはずの催眠それ自体を愛好する人々が出現したのである!!そこではフェティシズムの追求とは別の欲求が働いていたのではないか。

 

全然まだ書けるが、字数もちょうど良いので続きは明日にとっておこう。

 

今日の2冊

ようきなやつら

短編集。Webアクションで「東京鎌鼬」を読んで新鮮に驚いた記憶がある。滑稽な雰囲気で語られるのでそのまま読んでいて、あとがきにもあったように「川血」でやられてしまった。「峯落」が一番view数が低いというのはかなり意外だった。妖怪を通して現実の問題を描くことで問題の所在を浮かび上がらせるという手法に一番合っていると思った。俗っぽい言い方をすればギャップが効いてることで話が入ってきやすくなるのだ。それにしても最終話から構想を広げてこんな話が作れるのがすごい。ちゃんとこういうすごい作品が評価されてると嬉しくなるな。

追記(2023/03/30):なんでこんなに落ち着いてるのか分からない。大傑作だろ。。。

 

図書館の大魔術師4

作中でメタっぽい事を言うキャラクターはラスボスであることが多い気がする。何でだろうか。簡単に言ってしまうなら、主人公の究極の目標は作者を超えることだからかもしれない。基本的に作者はラスボスなのである。あんまり具体例が出てこないけど間違ってないと思う。登場人物が自分の想像を超えてこないと物語を作っても楽しくないよな、多分。Twitter水上悟志も連載漫画における作劇手法についてそんなこと言ってた気がする。とりあえず何も考えずにビスケットハンマーを浮かべてみるのだ。

#3 推しにまつわる②

今日は絶対に日付が変わるまでに寝るぞ!!そして前人未到の7時台に起きて朝活というものをするんだ...!そこに行けばすべてが変わるはずなんだ。もう俺にはそれしかないんだ...

 

昨日の記事を見返したら、眠かったことを差っ引いてもひどい出来だったな。文章の構成力というものがまるきり欠如している。まあ考えながら書いていたから当然といえば当然なんだが、にしても読みにくかった。

そんなにツイートする方ではないが、四六時中タイムラインを見ているせいで、140字に無理やり思考を押し込めるやり方しかできなくなっている気がする。それは決して要約力などではなく、思い付きをふわっとそれっぽくパッケージングするのが上手くなっただけだ。その雰囲気に書いてる本人も飲み込まれていては世話ないな。

 

さて本題に移ろう。

昨日の話を軽くまとめよう。「推し」文化の話は発祥元であるアイドル文化に対する分析とともに語られていたように見えるが、その本質的な「ズルさ」には二面性があり、アイドル産業においては隠蔽された一面が推し文化が日常に浸透したことで露わになったのである。その一面とは

「推し」行為はその対象を商品化して、劣位におこうとする運動ではないかということだ!!

と主張して今日につないだ。

 

こう感じたのは、個人的な経験によるところが大きい。アイドルや俳優だけでなく身近な人間を「推し」にするような風潮は私が高1の頃からあったように思う。私の周りでそのような楽しみ方をしているのは女子ばかりだった。そして何を隠そうこの私も、一部の女子から推されていたのである!!

当時の私は世情にも疎い上に彼女ができるなんて夢のまた夢のような感覚で生きていたし、女子から興味を持たれるのは小学生ぶりだったので内心とても舞い上がっていた。その時は推しの特殊性について深く考えてもいなかったので単純に推しを、「気がある」の同義語として、つまり恋愛の文脈の中で解釈していたのだ。

しかし、冷静になって状況を分析するうちにこれは、どうやらそういう浮かれた感じのやつじゃないぞということに気づき始める。要は彼女らは「推し」と恋愛関係に至りたいとは考えていなかったのだ。←この文の構造が示すように「推し」行為と恋愛行為はイコールではないのだ。では「推し」とは何なのか。それは、無価値に見える商品に価値を見出そうとする主体性の獲得を求める運動なのではないか。つまり、クラスのさえないやつを「あえて」面白がってみることで自身のセンスのオリジナリティを発見してみようということだったのだ!!(ほんとか?)この際に推す対象は、結局のところ誰でも、何でもよかったのである。そしてこれは全てを商品化することで消費者である自身との間に序列を作る行為でもある。ここに人間相互の抒情的な関係など成立する余地はなく、一方的な消費するものされるものの関係があるのみである。であるからして、例えば私が彼女らにアプローチしようものならば、拒絶を引き起こすだけだっただろう。動物園のパンダやミッキーマウスに求婚されても困るだけなのだ。

では話をアイドル業界に戻してみよう。アイドル業界において「推し」行為のこのような性質はどのように隠蔽されていたのだろうか。それは先に明確に区別した「推し」と恋愛感情をイコールであるとすることで成り立っていたのだ!!

アイドル業界(限った話ではないが)には、一(アイドル)対多(オタクたち)といういびつな関係をいかに現実の人間関係のリアリティを持たせるように演出するのかという命題がある。「推す」という消費行動はこれに対するアンサーだった。何が巧みだったかといえば、オタクたちに真正面から他人に向き合う勇気などないということを見抜いていたことにある。安全な高みとして明確な序列である「消費者ー商品」という関係は最適だったのだ。そしてそんな下駄が履かされていることを消費者であるオタクには感じさせず、純粋な恋愛関係を築けているという虚構をこそ、本当の商品としたのである。「推し変」などの現象もこの観点からだと理解しやすいのではないか。つまり、オタクがなぜ消費をするのかと言えば、金を積んでアイドルとあわよくば一発やりたいみたいなことを願っているのではなく、真に欲望する人間的な関係を安全に手に入れたいと考えているのである。であるからして、彼らのある種の性的な潔癖さも真の欲望を考えれば分かりやすい。

 

あまり結びを考えずに始めてしまったのでこんなとこにしとく。すっきりしたー。

 

今日の二冊

図書館の大魔術師2.3

海外のファンタジー小説を原作として美麗な作画で描く一大巨編。絵、うんま!!!!話面白!って感じ。

イスラーム世界が中心的なイメージにありながらも(ここがまずすごい。衣装にかける作画コストが半端なくて最早引く)、ヨーロッパやアジア、エルフ、獣人をモチーフにした異種族との戦乱を経たかりそめの平和を享受しながらも、また次の争いの萌芽が芽生えつつある時代を舞台にする。そんな時代に生まれた種族間の混血の主人公が、平和の象徴としての図書館司書になることを目指す物語である。

と何となくの第一部のあらすじを書いてみたが、本作の魅力を伝えることは叶わないだろう。とにかくずっと重厚な世界観と美麗な作画に打ちのめされ続ける。かといって、物語の主眼は周囲との関わりの中での主人公の成長におかれており、開示される設定は必要最小限ながらも、その奥に膨大な歴史があることをうかがわせる。

 

↓そこそこのネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

途中まで読んで気づいた驚きの事実は、本作の原作とされる小説が存在しなかったことである。こんなハンデのつけ方があるのかと唖然としてしまった。世界観・ストーリーと作画どちらも群を抜いており、漫画のある種の極にあると思う。この事実に自力で気付きたかった...。

ふつうこんなにしっかり設定を考えたら設定だけで話を進めたくなってしまいそうなものなのに、かなり丁寧に人間としての主人公を描いていて好感しかない。全国の子供に読ませて全員漫画家志望にしたい。

 

 

 

#2 「推し」にまつわる①

 しょっぱなから余談だが、「渚にまつわるエトセトラ」ってタイトルだけで言えば一番好きかもしれない。タイトルだけ知ってて、いざ曲を聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。

 

二回目からいきなり漫画と直接には関係しない話題について考えてみようと思う。というのも、直近で出したESの自由課題が「自分の「推し」について自由に表現してください」的なものだったのだ。なんというか、その「推し」があることの自明性に違和感を持った。

最初その課題には太いサインペンで推し文化批判を書き連ねようと思ったのだが、その方向性で突っ走れるほどの「才」が果たして俺にあるのか......?と日和ってしまい、無難に済ませてしまったのが心残りだったのでここに吐き出してみようと思った次第である。

 

正味なところ今もあまり意見はまとまっていないのだが、「推し」の文化にはある種の「ズルさ」を感じ取ってしまうから嫌いなのだ。

 

そのズルさには大きく分けると二つある。一つは本質的に受動的な消費者が「推し」行為を通じて主体性を獲得しようとする試みの欺瞞性、あるいはその欲望も結局市場メカニズムに回収されてしまっていることである。

なにも調べずにフィーリングで書くが(よくないね)、推し文化のこのズルさが本質的だと感じるのは、この文化がアイドル産業から生まれたものであるように思われるからだ。

 

wikiくらい見るか...(以下引用)

 

元々は、アイドルグループの中で最も好感を持っている人物である推しメン(おしメン)を由来とする言葉である[2]。「推しメン」という言葉は、1980年代のアイドルブームの際に登場し、その後、2000年ごろになると2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)でモーニング娘。のファンによって使われるようになった[3]。その後、AKB48の台頭によって広まり[4][5]2011年ユーキャン新語・流行語大賞にノミネート(No.09)された[6]

 

はえ~80年代からあったんすね。勝手にAKBからだと思ってたな~。出典不明だが。

オタクが経済回してる、みたいな言説もこういうところから出てきたんだろうな~。

 

この説明を見ているとやはり推し文化は、「推し」ている人々の意思は別としてずーっと市場と関わりながら育まれたものであることがわかる。

なぜこのような文化が生まれたのかについて考えてみると、一つにはポストモダン的状況の進行(=「大きな物語」の崩壊)があるだろう。商品の価値も人生の意味も無化されてしまった現代。消費者でしかありえない人々は生存のために(本質的に価値相対的な)商品の決断的な選択を迫られるわけである。そして人は無意味である事の中に意味を見出さずにはいられないので、その選択の連なりを事後的に個々に物語化するのである。そして各人の物語は相対的であるがゆえに数のゲームに回収されざるをえない。

AKB総選挙をイメージすると分かりやすいのではないだろうか。要は俺のムカつきのポイントはCDを一杯買わすな、ということと、一杯買わされてることくらい気づけや、ということだ。

 

ここまでの内容はAKB批判としていくらでも(もっとしっかり)言われてそうな気がするが、もう一つのズルさはむしろ推し文化が日常に浸透したことで露わになったものだろう。

それは、「推し」行為はその対象を商品化して、劣位におこうとする運動ではないかということだ!!

 

ちょっと疲れたので続きは明日書く。非常に眠いので。

 

今日の二冊

ノルマとして積読の内から毎日二冊以上読むことにしたのでその感想をバ。

 

神様お願い

短編集。

子供時代最悪でしたみたいな漫画は数あれど、安易な救いによって作者自身を慰めるような結末や、文学に昇華されずに呪いとしてしか機能していない作品が多いジャンルであるように思う。そんな中で本作はおそらく自身の経験に由来する物語づくりをしながらも、そこから感情的に一定の距離を保ちながら、さりとて熱量も失わずに、美しさと汚さをしっかりと描いているように感じた。こどものイノセントな悪意を悪魔化せずに描いていて良かったなあと思った。いじめが題材になってたりするとよくあるのだ。画面の密度が高い割に読みやすいのはコマが大きいからなのかな。前四話は割合どよーんとする話だったが、最後の「ファーストアルバム」は希望のある結末だったのも良かった。作品内でかく汗の量って作品の面白さと相関しているかもしれないと思った。あと何といっても女体がエロい!!!俺にはこんな性欲がないので憧れちゃうね。

どの話もよかったが強いて一番を挙げるなら「神様お願い」

https://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84-web%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%B0%8F%E9%AA%A8-%E3%83%88%E3%83%A2/dp/4575856932

 

福満しげゆきのほのぼのゲームエッセイマンガ

正月のブックオフで見つけた一番のあたり。30分くらいで読めるだろと思ったら、一本ごとにコメントが掲載されてて1時間半かかった。今日の更新が遅くなった原因である。しかしこれも福満先生のサービス精神の成せる業である。ありがたやありがたや。

『小規模な育児』も勿論面白いんだけど、やっぱりこの四コマの中にギチギチに文字と絵を詰め込んである画面の迫力ったらないね。

内容もホントにこれファミ通に載ってたの⁉って感じで思った以上にまんまだった。最高すぎる。にしても改めてエピソードの圧縮力とか、思考の言語化力の高さを痛感したし、密度に対する読みやすさがすごい。

この人の性欲も尊敬に値する。

休み時間中の手洗いでの時間つぶしが『神様お願い』と共通しててウケた。メジャーな方法なんだな。

 

https://www.amazon.co.jp/%E7%A6%8F%E6%BA%80%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E9%80%9A%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E7%A6%8F%E6%BA%80%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%86%E3%81%8D/dp/404728615X

 

毎日書くんだから2000字くらいに収めたいな...継続に意味がありそうだから。

 

♯1 2022年ベスト10とか

出版就活をするにあたって、普段頭の中で言葉にならずに浮かんでは消える思考をしっかりと出力しておきたいので、手っ取り早くブログを書くことにした。

今日の記事↓

 

【2022年に読んでよかった漫画】

普段メモや日記をつけないので何を読んだか全く覚えていない。もったいないね。全部紙で読んでいれば問題なかったのだが、基本的にアプリで読んでるので読んだらおしまい、はいサイナラ。これ、アプリの問題点だと思う。読み捨てがデフォルトなんだよな。でもな~タダだもんね、許すよ。これからもよろしくね。

というか2022年が長すぎた上に、4月に復学したから時間感覚がバグってしまっている。アプリの閲覧履歴を見ながら必死こいて思い出します。

 

 

あ!!!配信終了した漫画が表示されてない気がする!!!

終わりです...

 

 

とりあえず横にある本棚見ながら思い出すか...

 

君の戦争、僕の蛇

まだ完結していないが、最新話を読んでかなり感動してしまったので入れる。セカイ系の主人公でいる苦しみがお前に分かるか!!!解脱しかねえ!!!!!

『NEEDY GIRL OVERDOSE』のアンソロの読み切りもすごい良かった。漫画上手~

viewer.heros-web.com

 

スペシャ

ラストびっくり度で言えば今年1かも。かっこよすぎるぜ。

to-ti.in

 

THISコミュニケーション

一番人に勧めやすいかもしれない。すごい笑えるから。普段漫画を読んでも声を出して笑うことはないが、これを読んでるときはゲラゲラ笑ってしまう。やっぱりこういうメタっぽいのが好きなのかもしれない。最新巻がかなり気持ちがよかった。タイトル回収か?

shonenjumpplus.com

 

宝石の国

仏教をやっていてよかった。詳しいことは今度書こう。

 

隣のお姉さんが好き

主人公がイノセントすぎて、ラブコメもここまで来たかと思った。主人公が「付き合う」という選択肢に気づいたときは椅子から転げ落ちた。多分俺が他の誰よりも主人公と同じ目線で不思議がってる。

mangacross.jp

今日から始める幼なじみ

アイディアの時点で完勝してることがタイトルを見ただけで分かる。

kuragebunch.com

とくにある日々

本当にいいんだよな...永遠はここに。

viewer.heros-web.com

 

断腸亭にちじょう

ほんとに読ませる漫画なんだよな。一番時間をかけて読んでるかも。

www.sunday-webry.com

 

奈良へ

はやく奈良へゆきたい。見返して思うが仏教関連多いな今年。

https://to-ti.in/product/gotonara

 

黄色い耳

『マッドゴッド』よりすごい。

 

潮が舞い、子が舞い

神戸にゆきたい。

 

ドンケツ外伝

本編ももちろん良いが、満足感はこちらの方が上。

 

ピアノの森

多分子供描くのが一番うまい。最新作も子どもで納得。

 

最強伝説黒沢

文句なし

 

思ってたより多いので以下タイトルと一言。

・ONEOUTS

創作ゲームの穴を突くよりもすごいことをしてる。

 

・誰何

つばな作品にハズレなし

 

嘘喰い

『ジャンケットバンク』にも期待してるよ俺は

 

・シャーマンファイト

かなりすごいことをしてるはずなのにウケ悪くない??

 

ナチュン

途中まで最高だった。

 

・方喰と黄金

ずっと面白い。流行れ!!

 

もやしもん

絵柄で倦厭してたがザアフタヌーンみたいな良さがあった。

 

・メダリスト

熱量がすごい。女児の量がすごい。

 

ダーウィン事変

この内容でこのマン取るんだなと感心した。

 

・百合にはさまる男は死ねばいい!?

舐めてかかったらちゃんと面白かった。

 

・コーポ・ア・コーポ

これ、今までに読んだことないマンガすぎてびっくりした。

 

・果ての星通信

おもろいSF。主人公の人格が良い。

 

第七女子会彷徨

最高傑作。

 

・ラーメン再遊記

前二作をフリに使ってるので、当然面白い。

 

レッドブル

キャラが良ければなんでも読めるのだ。

 

・帝乃三姉妹は案外、チョロい

ブコメのある種の極

 

・ぷにるはかわいいスライム

小学生で出会いたかった。

 

うつ病になってマンガが描けなくなりました

相原コージ。コマ割りがおもろい。ヨクサル漫画みたい。

 

ミラーマン2D

久正人の絵はずっとかっこいい。

 

・クマ撃ちの女

話がシンプルに面白い。

 

正反対な君と僕

ページがごちゃごちゃしてるのに見やすくてすごい。

 

放課後ひみつクラブ

面白いとしか言えない。

 

大体こんなもんだろうか。なんかまだある気がするけど..。読み切りとかを全然拾えてないな。

というか今年はかなり新刊を買うようにしたが結構積んじゃってるんだよな。早く読まないと。確実にベストテンに入るのも一杯あるんだ。

 

ノルマで漫画読んでも多分嫌じゃないから、毎日二冊は読むことにしよう。最近ピッコマを入れて一日に読む作品が15個くらい増えてるけど多分大丈夫だろ。ガンバロー。