就活ブログ

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#4 催眠・黄昏・三姉妹①

昨日の記事は言葉たらずではあるが割合面白いことが言えたのではないか。

冬休みは昨日までなので今日から本格的に日々が始まるのだなという感じがしている。始めてからというもの基本的にブログのネタについてずっと考えている。生活に良い緊張感が生まれたのはいいが、肝心のES執筆に手が回らなくなってしまっているという「本末転倒」のお手本のような事態になっている。ので、できる限り誠実に続けるつもりではいるが、本の紹介くらいで済ませてしまう日があるかもしれない。許してチョンマゲドン。許してちょんまげってすごいギャグだよな。脈絡がなさすぎて。誠意のこもった謝罪として断髪したってこと?

もうすでにネタ切れ気味なので、回を分割して延命を図りたいと思う。

 

ということで今日の話題は最近見た作品で同じような観点から「これはずるいな」と思ったものを挙げて説明していき、これらの作品に何があり、何が欠如しているのかを見ていきたい。(大上段に構えすぎている気がする、後悔するぞ)

という訳で初めは(いきなり作品ではないのだが)成人向け作品における「催眠モノ」というジャンルについて考えてみたい。あまりトレンドを追っているわけではないし、読んでいる作品数も圧倒的に不足しているので話半分で読んでほしい。趣味がバレるのも嫌なので具体的な作品名も挙げません!!これは俺のブログなので俺が王なのです。

そもそも催眠モノとは何なのかの説明はいるのだろうか。ジャンルを定義するのは難しいが(その定義に対するメタ的な作品とのいたちごっこになるので)取り敢えず「何らかの手段で相手の自由意志を奪い自分の意のままに操れる状態にした上で、エロい事をする作品」としておこう。

催眠がエロ同人の文脈に持ち込まれたのはいつからなのだろうか。Pixivにて「催眠」のタグが使用された最古のイラストは2007年の12月に投稿されている。ちなみに、題材は『BLEACH』だった。なるほど「鏡花水月」か。連載時期的にもちょうどだろうな。そして年月を経るにつれどんどんと作品数も増えていく。私の肌感覚としては『東方Project』の同人誌からジャンル自体のブームがはじまったように感じていたが、時系列に沿って見てみると、東方催眠のブームが来る以前から、それなりに有名な作品や作家がいたことが分かった。つまり、催眠モノはニッチなシチュエーションとして一定数のファンがいたことが伺える。そして東方催眠をきっかけに催眠モノは巨大なジャンルへと成長していくのだ。

しかし、催眠が永遠にエロ同人界隈のトップジャンルかと言われれば、そうではないだろう。これにも触れると長くなりそうだが、「催眠モノ」の次に「寝取られモノ」が台頭してきたことは議論を俟たないだろう。

※現在のトレンドを追っていないのでわからないが、感覚としては現在のトレンドは、NTRモノの人気も落ち着いた上で、新たなジャンルの勃興を待っているように思われるのだが、どうだろうか、有識者の意見を求む。

このジャンル移行についても話したいことはあるのだが、その前に催眠モノがオタクのどのような欲望を刺激したことで人気になったのかという事を考えてみたい。それは、オタクのある種の諦念から生まれたものではないのだろうか。東方催眠以前のニッチなジャンルだった頃の作品を眺めていると、催眠によって、普段ならできないようなプレイ(SMやスカトロ、露出など)を行っているケースが多い。(以後にする話と完全に分けることはできない話だが)基本的にどのようなプレイであってもそれを行うには両者の合意が前提となるわけだが、現実的にこのようなニッチな趣味はかなり人を選ぶだろう。それを作品で発散させることも可能だが、そんなちょうど良い相手の存在はご都合主義に映るかもしれない。結論を言えば、催眠という非現実的な設定は、それによって逆に作品としてのリアリティを確保しているのだ。つまり初期の催眠モノのジャンルの愛好者にとっては、催眠という設定はあくまで手段であり、その後に行なわれるプレイこそを真に愛好していたのではないか。古くから催眠モノを執筆している作家の作品が基本的に他と比べてハードなのはそのような理由があるのではないか。

さて、このような構成にしたということはオチはもう見えているだろう。そう、ジャンルが盛り上がっていくにつれて、手段であったはずの催眠それ自体を愛好する人々が出現したのである!!そこではフェティシズムの追求とは別の欲求が働いていたのではないか。

 

全然まだ書けるが、字数もちょうど良いので続きは明日にとっておこう。

 

今日の2冊

ようきなやつら

短編集。Webアクションで「東京鎌鼬」を読んで新鮮に驚いた記憶がある。滑稽な雰囲気で語られるのでそのまま読んでいて、あとがきにもあったように「川血」でやられてしまった。「峯落」が一番view数が低いというのはかなり意外だった。妖怪を通して現実の問題を描くことで問題の所在を浮かび上がらせるという手法に一番合っていると思った。俗っぽい言い方をすればギャップが効いてることで話が入ってきやすくなるのだ。それにしても最終話から構想を広げてこんな話が作れるのがすごい。ちゃんとこういうすごい作品が評価されてると嬉しくなるな。

追記(2023/03/30):なんでこんなに落ち着いてるのか分からない。大傑作だろ。。。

 

図書館の大魔術師4

作中でメタっぽい事を言うキャラクターはラスボスであることが多い気がする。何でだろうか。簡単に言ってしまうなら、主人公の究極の目標は作者を超えることだからかもしれない。基本的に作者はラスボスなのである。あんまり具体例が出てこないけど間違ってないと思う。登場人物が自分の想像を超えてこないと物語を作っても楽しくないよな、多分。Twitter水上悟志も連載漫画における作劇手法についてそんなこと言ってた気がする。とりあえず何も考えずにビスケットハンマーを浮かべてみるのだ。