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#3 推しにまつわる②

今日は絶対に日付が変わるまでに寝るぞ!!そして前人未到の7時台に起きて朝活というものをするんだ...!そこに行けばすべてが変わるはずなんだ。もう俺にはそれしかないんだ...

 

昨日の記事を見返したら、眠かったことを差っ引いてもひどい出来だったな。文章の構成力というものがまるきり欠如している。まあ考えながら書いていたから当然といえば当然なんだが、にしても読みにくかった。

そんなにツイートする方ではないが、四六時中タイムラインを見ているせいで、140字に無理やり思考を押し込めるやり方しかできなくなっている気がする。それは決して要約力などではなく、思い付きをふわっとそれっぽくパッケージングするのが上手くなっただけだ。その雰囲気に書いてる本人も飲み込まれていては世話ないな。

 

さて本題に移ろう。

昨日の話を軽くまとめよう。「推し」文化の話は発祥元であるアイドル文化に対する分析とともに語られていたように見えるが、その本質的な「ズルさ」には二面性があり、アイドル産業においては隠蔽された一面が推し文化が日常に浸透したことで露わになったのである。その一面とは

「推し」行為はその対象を商品化して、劣位におこうとする運動ではないかということだ!!

と主張して今日につないだ。

 

こう感じたのは、個人的な経験によるところが大きい。アイドルや俳優だけでなく身近な人間を「推し」にするような風潮は私が高1の頃からあったように思う。私の周りでそのような楽しみ方をしているのは女子ばかりだった。そして何を隠そうこの私も、一部の女子から推されていたのである!!

当時の私は世情にも疎い上に彼女ができるなんて夢のまた夢のような感覚で生きていたし、女子から興味を持たれるのは小学生ぶりだったので内心とても舞い上がっていた。その時は推しの特殊性について深く考えてもいなかったので単純に推しを、「気がある」の同義語として、つまり恋愛の文脈の中で解釈していたのだ。

しかし、冷静になって状況を分析するうちにこれは、どうやらそういう浮かれた感じのやつじゃないぞということに気づき始める。要は彼女らは「推し」と恋愛関係に至りたいとは考えていなかったのだ。←この文の構造が示すように「推し」行為と恋愛行為はイコールではないのだ。では「推し」とは何なのか。それは、無価値に見える商品に価値を見出そうとする主体性の獲得を求める運動なのではないか。つまり、クラスのさえないやつを「あえて」面白がってみることで自身のセンスのオリジナリティを発見してみようということだったのだ!!(ほんとか?)この際に推す対象は、結局のところ誰でも、何でもよかったのである。そしてこれは全てを商品化することで消費者である自身との間に序列を作る行為でもある。ここに人間相互の抒情的な関係など成立する余地はなく、一方的な消費するものされるものの関係があるのみである。であるからして、例えば私が彼女らにアプローチしようものならば、拒絶を引き起こすだけだっただろう。動物園のパンダやミッキーマウスに求婚されても困るだけなのだ。

では話をアイドル業界に戻してみよう。アイドル業界において「推し」行為のこのような性質はどのように隠蔽されていたのだろうか。それは先に明確に区別した「推し」と恋愛感情をイコールであるとすることで成り立っていたのだ!!

アイドル業界(限った話ではないが)には、一(アイドル)対多(オタクたち)といういびつな関係をいかに現実の人間関係のリアリティを持たせるように演出するのかという命題がある。「推す」という消費行動はこれに対するアンサーだった。何が巧みだったかといえば、オタクたちに真正面から他人に向き合う勇気などないということを見抜いていたことにある。安全な高みとして明確な序列である「消費者ー商品」という関係は最適だったのだ。そしてそんな下駄が履かされていることを消費者であるオタクには感じさせず、純粋な恋愛関係を築けているという虚構をこそ、本当の商品としたのである。「推し変」などの現象もこの観点からだと理解しやすいのではないか。つまり、オタクがなぜ消費をするのかと言えば、金を積んでアイドルとあわよくば一発やりたいみたいなことを願っているのではなく、真に欲望する人間的な関係を安全に手に入れたいと考えているのである。であるからして、彼らのある種の性的な潔癖さも真の欲望を考えれば分かりやすい。

 

あまり結びを考えずに始めてしまったのでこんなとこにしとく。すっきりしたー。

 

今日の二冊

図書館の大魔術師2.3

海外のファンタジー小説を原作として美麗な作画で描く一大巨編。絵、うんま!!!!話面白!って感じ。

イスラーム世界が中心的なイメージにありながらも(ここがまずすごい。衣装にかける作画コストが半端なくて最早引く)、ヨーロッパやアジア、エルフ、獣人をモチーフにした異種族との戦乱を経たかりそめの平和を享受しながらも、また次の争いの萌芽が芽生えつつある時代を舞台にする。そんな時代に生まれた種族間の混血の主人公が、平和の象徴としての図書館司書になることを目指す物語である。

と何となくの第一部のあらすじを書いてみたが、本作の魅力を伝えることは叶わないだろう。とにかくずっと重厚な世界観と美麗な作画に打ちのめされ続ける。かといって、物語の主眼は周囲との関わりの中での主人公の成長におかれており、開示される設定は必要最小限ながらも、その奥に膨大な歴史があることをうかがわせる。

 

↓そこそこのネタバレあり

 

 

 

 

 

 

 

 

途中まで読んで気づいた驚きの事実は、本作の原作とされる小説が存在しなかったことである。こんなハンデのつけ方があるのかと唖然としてしまった。世界観・ストーリーと作画どちらも群を抜いており、漫画のある種の極にあると思う。この事実に自力で気付きたかった...。

ふつうこんなにしっかり設定を考えたら設定だけで話を進めたくなってしまいそうなものなのに、かなり丁寧に人間としての主人公を描いていて好感しかない。全国の子供に読ませて全員漫画家志望にしたい。